子宮鏡手術について知っておきたいこと...
2024/11/17
2024/11/10
初めまして。錢瓊毓(せん けいいく)と申します。
日本で生まれ、8〜12歳を台湾で過ごし、中学・高校は福岡県北九州市の学校へ通いました。高校卒業後、神戸市外国語大学に入学し、阪神大震災を経験しました。神戸外大に1年在籍した後、アメリカへ留学。最終的にはテキサス大学オースティン校の教養学部を卒業しました。大学卒業後、外資系コンサルティング会社に就職して東京で社会人としてのスタートを切り、キャリア転換のために26歳時に大学院進学したのですが、そこで「産婦人科医になろう!」と思い立って、28歳で医学部に学士編入しました。
というわけで、紆余曲折ありながら、32歳で医者になりました。
母校である富山大学の附属病院で初期研修を受け、その後は東京で産婦人科の専門研修を受けました。産婦人科専門医を取得し、これからどうしていこうかなと考えていたタイミングで、愛育クリニックにおいて多言語対応の産婦人科診療を行う専門ユニットを立ち上げるという話があり、そこに合流しました。
私は、産婦人科医としていろんな妊婦さんと出会うようになって、改めて自分の母親のことを考えるようになりました。母は、日本語もままならない状態で日本で私を産んでくれました。言葉の通じない外国で初めての妊娠・出産をするって、すごいことだと思いませんか?母はあまりにも昔のことなので記憶が曖昧のようですが(笑)。そんな母への恩返しだと思って、日本に住む外国人の方々の力になりたい、と思ったのが、合流しようと思った一番の理由でした。
そこは色々な国の方が受診する場所でした。患者さんを通して、言語や文化の違いだけでなく、外国人特有の事情など、私の知らないことがたくさんあり、ひとりひとりの方に合わせて、一緒に働く仲間たちと協力して柔軟に対応していくことを学びました。
また、ここでは完全主治医制をとり、担当患者さんの手術が必要な場合は私自身が執刀し、担当の妊婦さんに対しては、妊娠中の健診から出産の立ち合いまで自分の責任下にありました。何かあれば直接私の携帯電話に患者さんが連絡をすることになっており、少し出血した、風邪をひいた、陣痛が始まった、などの連絡に対応して、常にオンコール状態でした。一人の女性の妊娠から産後まで一貫してお世話するのはとてもやりがいがあり、患者さんやその家族との一体感はこれまでにないくらいあり、無事に赤ちゃんが生まれたときの喜びは言葉ではあらわせないほどでした。辛いこともたくさんありましたが、自信をもって産婦人科医を名乗れるのは、ここでの経験があるからです。
24時間体制で産婦人科医として働き、やりがいは無限でしたが、心身ともに疲れが溜まる一方でした。「あと1年同じ生活を続けるのなら頑張れるが、あと10年だと想像すると途方に暮れる」と思ったとき、そろそろ働き方を見直す時期なんだと感じました。患者さんたちに迷惑がかからないように1年かけて退職の準備をし、2023年3月末日に愛育クリニックを離れました。
ただただ目の前のことに必死でそれが楽しかったわけですが、その間は自分の未来について考えるゆとりもなかったので、自由になったのならまずは何か違うことをやってみようと思い、1年半ほどの間に、人間ドック専門クリニックで婦人科検診担当、外資系テック企業でパートタイム社員、心療内科で外来診療担当、ヘルスケア系ベンチャーで顧問を経験しました。ああ、世の中はこうなっているのかー、といつの間にか視野が狭まっていたことに気づき、社会と自分の関係を見直す良い時間でした。
休息期間中、ひとりで何かを立ち上げるほどのエネルギーは持ち合わせていないけれど、良き仲間と一緒ならやれることは色々あるな、と感じていたので、弟から「開業を考えてるんだけど、協力してくれない?」と持ちかけられたタイミングはドンピシャでした。もともと、産婦人科医としては弟の方が先輩なので、教えを請うことも多々あり、医療に対する考えが相似していることはわかっていたので、一緒に仕事をするのは問題ないだろうと予想していました。
何のためにクリニックを立ち上げるのか、そこで何がしたいのか、何ができるのか、など、たくさん話し合いました。そして、クリニックのミッションに落とし込みました。
女性も男性も同じですが、人は年齢とともに身体が変化し、そしてライフステージとともに社会的役割にも変化が生じます。その中でも男性とは異なる女性ならではのことはと言えば、女性ホルモンの変動が日常生活にもたらす影響(月経、更年期など)、妊娠・出産をするしないの選択、そして未だに存在する社会における男女格差、の3点に集約されると思います。私たち産婦人科医は、そういった女性特有の事情を鑑みながら、今その人が抱える問題や課題に向き合い、未来を見据えながら解決策を一緒に考えていく役割を担っています。
産婦人科医がなんでも解決できるわけではありませんが、みなさまには、産婦人科医の知識と知見をぜひ活用して欲しいと思っています。情報過多の時代だからこそ、知識の有無や情報の正確さが、人の未来を変えるという事実をたくさん見てきました。当院では「医療相談(トータルコンサルテーション)」という形で、医師以外の仕事も経験したことのある産婦人科医の知見を一人でも多くの患者さまのお役に立てたいと考えています。こういうことも聞いてみてもいいのかな?と何か思うことがあれば、聞いてください。わからないときはわからない、と答えますので。
母への恩返しも続けます。芦屋ウィメンズクリニックでは、多言語(日本語・英語・台湾語・中国語)での診療を行っています。これら以外の言語対応をご希望の場合には、通訳の方同伴、または電話越しでの通訳など、患者さんの事情に合わせてできるだけ柔軟に対応していきたいと思っています。言語力は大事ですが、そこに相手を理解しようとする姿勢がなければ、医療の質は上がりません。どんな言語でも、患者さんのお話を聞きたいと思っていますので、身近にお困りの方がいらっしゃいましたら、ご案内ください。
芦屋ウィメンズクリニックでお待ちしています。